神社検定の試験に合格するためには、公式テキストの2冊以上の読破が必要です。 実際に読み始めると、興味の持てる箇所もあれば退屈なテーマもあります。 そこで、各テーマの概要をブログの記事にして読み続けることで、退屈なテーマ学習の一助になるように考えて、また自分のおさらいをも含めてサラッと記事にしてみた。
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検定試験まで、3週間をきりました
本記事を以て、公式テキスト①「神社のいろは」を終了します
後は過去問のおさらいをしておきませう
では皆さんの健闘を祈ります
記事はここから
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古代には国家が認めた神社を官社と称し神祇官が幣帛を献じていました。
平安時代になり、「延喜式神名帳」に記載された神社を式内社と云い
官幣大社-国幣大社-官幣小社-国幣小社と分類。
特に霊験あるものを名神大社としました。
「式内社」と言えば、古代から続く由緒正しい神社ということです。
貴族の好きそうなことだなぁと思うのは
「正一位」や「従一位」といった貴族の位階を神様にもつけたことです
これを神位、位階と云うそうですが
とんでもない罰当たりなことではないでせうか?
平安時代中期には朝廷の崇敬を受ける神社は平安京に集中してきます
これを「二十二社」と云い
上七社として石清水八幡宮、加茂二社等七社
【 上七社のひとつ 石清水八幡宮 】
中七社として石上神宮等七社
【 中七社のひとつ 石上神宮
祀られている七支刀が有名 】
下八社として八坂神社、貴船神社等8社が成立します
【 貴船神社は下八社のひとつ 】
さすがに伊勢神宮は上七社の筆頭ですが
古事記神話で大きな位置を示す神々を祀った神社
例えば、出雲大社、鹿島神宮、熱田神宮などが入っていません
地方の神社を守ったのは貴族たちではなく そこに住まう人々の
篤い信仰心であったのですな
それが、地方に「一宮」であり「総社」という神社が生まれた所以なのかも
【 尾張の国一之宮 真清田神社
全国でも一宮と名がつく珍しい愛知県一宮市に鎮座 】
明治時代になると、皇室より幣帛がお供えされる官弊社と
国庫からお供えされる国弊社に分類されました。
そして、それぞれ大社、中社、小社に分けられました。
その他、国家のために殉じた人々をお祀りする靖国神社が創建され
別格官幣社という社格が与えられました。
敗戦によりGHQの神道指令によりそれらの社格は廃止され
昭和21年に神社本庁が発足し現在に至っています。
宇佐八幡宮は旧官弊大社で式内社に名神大社とされており、
鶴岡八幡宮は旧国弊中社で式内社以後の創建です。
つまり上位の八幡宮は宇佐になりますが
現在は社格としての上下という区分はありません。
なお、伊勢神宮は全くの別格ですから、
今も昔も、唯一無二の存在であることは知っておきましょう。
参考
神社検定公式テキスト① P.176~P.179
前回に続いて、皇室の祭りをちっくと勉強しませう
皇室祭祀を行う場所は宮中三殿、神嘉殿そして山陵です。
皇居内にある宮中三殿は賢所、皇霊殿、神殿の総称です。
【 宮中三殿 】
賢所には皇祖である天照大神と御鏡の分身が祀られ、
皇霊殿には神武天皇始め歴代皇室の御霊が祀られています。
神殿には「天神地祇八百万神」が祀られています。
なお、神剣の分身と勾玉は剣璽(けんじ)と云い
今上陛下の御所の「剣璽の間」に保管されています。
【 剣璽の間 】
【 三種の神器 】
大きい丸い形状の「鏡」、「まが玉」そして「草薙の剣」
皇室祭祀を執行されるのは天皇陛下ご自身です。
お祭りには恒例祭祀、臨時祭祀があり
さらに大祭と小祭に分かれます。
大祭は天皇親祭と云い、天皇様自らがお祀りされます。
小祭は天皇陛下が拝礼され、掌典長に祀らされるとのことです。
恒例祭祀の中でもっとも重要なのが
11月23日に神嘉殿で行われる新嘗祭です。
また全国の神社のうち、皇室と関係の深い神社には、
勅使が参向し幣帛が供えられます。
これらの神社を「勅祭社」といい全国に16社あります。
特に宇佐神宮と香椎宮には10年ごと、
鹿島神宮と香取神宮には6年ごと、
靖国神社には春秋2度の大祭に勅使が派遣されています。
実際に天皇陛下はどのようにお祈りをされているのでしょうか。
毎年1月元旦に行われる歳旦祭について見てみましょう。
『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によると、
天皇陛下は元旦の午前5時半には宮中三殿に並ぶ
神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになります。
庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には
清潔な青畳が敷かれています。
天皇陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている
伊勢神宮に遥拝し、国の安泰と国民の幸福
そして、農作物の豊作などを祈り、四方拝を行われる。
【 四方拝の様子を描いた 】
元旦の厳しい寒さの中での祈りは
70歳を過ぎた陛下には厳しいと思いますが、
陛下は決して式次第を省略したりしないそうです。
歳旦祭に臨む前に、陛下はすでに御所で身を浄め、
身装いを正しておられることでしょう。
つまり午前3時くらいには起床されておられると思います。
天皇様は、こうした古代の祭祀を非常に大切になさるそうです。
年間30回を超える古式の祭祀を、ご公務の間に手抜きせずにされる。
既に両親がなく、子供もない私なんぞに対しても
天皇様が祈ってくださるようでありがたいと思います。
『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によると
歳旦祭に先立ち御所から神嘉殿に向かわれる
陛下をお見送りしたとき皇后様が詠まれた
「年ごとに 月の在(あ)りどを 確かむる
歳旦祭に 君を送りて」との歌を紹介しています。
天皇・皇后という存在は、古代から短歌で人々を癒し、
国民に皇室の想いを伝えてきたのかもしれません。
サイパン慰霊の際に
「あまたなる 命の失せし崖の下
海深くして 青く澄みたり」と天皇様が詠めば、
「いまはとて 島果ての崖踏みけりし
をみなの足裏(あうら)思へばかなし」と皇后様が続きます。
平成24年の歌会でも、東北に想いを馳せて
「津波来し、時の岸辺は 如何なりしと
見下ろす海は 青く静まる」と天皇様が詠めば、
「帰り来るを 立ちて待てるに 時のなく
岸とう文字を 歳時記に見ず」と皇后様が続きます。
両陛下の短歌には悲しみを浄化する力があり
両陛下の発する言葉には人を癒す優しさがあります
東北地震の被災者へのお見舞いのときの
被災者の表情の変化を見ているとそう感じます。
参考
神社検定公式テキスト① P.166~P.171
伊勢神宮内宮のご祭神は天照大神
日向の地に降臨したのがニニギノ命
ニニギノ命の4代目が神武天皇
神武天皇から125代目が今上天皇です。
神話の世界から2675年連綿と繋がっているのです
学問上では否定されていますが、気にしない
【 神武天皇 弓の上には八咫烏 】
書店に行くと、悲しくなることがあります。
「古事記や日本書紀は天皇を美化するためのねつ造記録だ」
「古代天皇家の陰謀で多くの民が抹殺された」
このような暴論を事実だと主張する本が書棚に見えます
【 古事記および日本書紀 】
一方、古代中国の魏志倭人伝をありがたがって、邪馬台国はどこだ?
卑弥呼の館はどこだ?など隣国の書に史実を探そうとする。
我が国の正史は「日本書紀」であって、そこから史実を明らかにすべき
ではないかと思うのです。
大体、邪馬台国の邪にしても卑弥呼の卑にしても
我が国やその君主を蔑む読み方ですよ!
素直に古事記や日本書紀を読み、日本という国柄や精神風土などを
読み手なりに理解することが肝要だと思うのです
話を戻します。皇室は2675年の歴史があり、
今も天皇様は祭祀を行っている神職でもあります
私たちの安寧、豊作をお祈りされているのです
平成17年、天皇皇后両陛下はサイパンに慰霊に行かれました。
太平洋戦争の末期、米軍に追い込まれた一般市民たちは捕虜に
なることを恐れ、後にバンザイクリフと言われるマッピ岬に
身を投げました。中には幼子を抱いた母親もいたそうです。
深く黙祷されるお二人のお姿はメディアでも報道されました。
【 平成17年 サイパン島バンザイ岬から
祈りを捧げる両陛下 】
そのことのついて奇妙な話を耳にしました。
サイパン島では、夜中に日本人の幽霊がでるという。
びしょ濡れの母子であったり、兵隊であったり。
女優の飯島直子さんもそのようなことを話されていたそうです。
ところが、天皇様、皇后様が慰霊された以降
そんな話がピタッとなくなったというのです。
なんとなく分かるような気がします。
毎日国民の安寧と五穀豊穣をお祈りされておられる
天皇陛下の祈りのチカラは尋常ではないのです。
メディアに登場する霊能者などの及ぶところではありません。
天皇様は最強の歩くパワースポットなのです。
では天皇陛下はいつ、どのようにお祈りをされているのか?
次回、皇室のお祭りや行事についてお話していきます
今日は伊勢神宮の祭りについておさらいをしませう
【 内宮 五十鈴川にかかる宇治橋から見る陽光 】
何気に参拝していても気がつきませんが
神宮では年間1800回以上もお祭りをしています
内宮のご祭神は天照大神で皇祖神ですので
天皇陛下が自らお祈りされる「親祭」と云われています
恒例祭典のうち、10月に行われる神嘗祭は
天皇陛下が皇居で作られた初穂などが神様に捧げられます
これに6月と12月の月次祭を合わせて「三節祭」
2月の祈年祭と111月の新嘗祭を加えて「五大祭」と云われています
三節祭では「由貴大神饌」(ゆきのおおみけ)という
神聖な神様のお食事を捧げます
神宮では、米、酒、野菜や鮑に至るまで自給自足で賄います
また、それらを盛り付ける土器や、神様へ献上する布までも
古式のスタイルのまま独自に作っています
外宮では、神職が古代から伝わる火を起こす道具で火を起こします
そして、昔ながらの方法で調理された神食を神々に捧げる
「日別朝夕大神饌祭」が朝夕の2度行われています
このように、伊勢神宮では今も天照大御神が生きており
多くの神職や崇敬者によって祀られているのです
【 日別朝夕大御饌祭
古代の火おこしの方法を今でも行っている 】
【 神様にささげるお食事の内容 】
平成25年に20年に一度の「神宮式年遷宮」が行われました
式年遷宮とは制度上定められた期間ごとに新たな社殿を造り
神様にお遷りいただくことです
すべての御装束神宝まで新たにして神威の高まりを願う祭典です
来年の式年遷宮は第62回で、なんと1240年目になります
まず、平成17年5月に御用材切り出しの安全を祈願する山口祭が行われ
それ以降平成25年10月の「遷御」まで30もの祭りが行われます
御用財は20年の役目を果たした後も
「撤下古材」として活用されます
ちなみに参道沿いの「すし久」という店は特別に譲られ
店舗の梁になっているそうです
ちなみに、すし久のてこね寿司は有名です
【 すし久の定番 てこね寿司 】
御装束は神様の衣服や服飾品、神宝は馬具、日用品などのことで
これもすべて一新されます
伊勢神宮はこうして20年に1回、装いを新たにします
常に新たにリフレッシュして「永遠」であること
これを常若(とこわか)の精神と云います
【 内宮御正宮前 今でも日本人の信仰を集めている 】
【 世界有数の宗教遺跡となっているギリシャ神殿
観光地として人々は来るけれど、信仰ではない 】
ギリシア神殿は今や遺跡であって、人々の日常の信仰の場ではありません
しかし、伊勢神宮は常に新しく生まれ変わる「永遠」であり
今も日本人の総氏神として祈りの対象であることを考えると
こりゃすごいことだなぁと思うわけですな
参考
神社検定公式テキスト① P.152~159
神道とは通過儀礼だと云いましたが
人生の最後の通過儀礼は「葬式」ですな
我が家でも葬儀は仏式で行います
どこの国でもその国の信仰に基づく葬式があり
我が国でも神道固有の葬式があります
神道で行う葬儀は「神葬祭」と云います やはり「祭」です
【 50日間半紙を絵のようにして神名を隠す 】
人が亡くなることを「帰幽」(きゆう)と云い
神棚の前に白い半紙を張り、一時的に神棚の祭りを停止します
期間は50日、一般的に五十日祭で忌明けとなります
「忌」とは故人のお祭りに専念するという意味で
そのため、神棚に目隠しをするということらしいです
また50日間は神社参拝も遠慮することが望ましいとのこと
通常の拝礼と異なるのは「忍手」という音をたてない拍手を行うことです
また仏式でないので、数珠を持つこともなく焼香することもありませぬ
ただ、故人を北枕に寝かせるというのは同じなのです
北枕とはお釈迦様が亡くなった時に頭を北に向けていたことから
北を枕にするとお釈迦様と同じ処に行けるという信仰が生まれたようです
【 お釈迦様がお亡くなりなったときの様子 】
神道では神様は常に南か東を向いています(我が家の神棚もそうです)
私たちは北か西を向いて神様を拝む形ですな
つまり、神道の場合北が最上の上座で西がそれに続くということ
ために、北の方向に足を向けるのは失礼にあたるのでということらしい
これは神職ではなく、葬儀屋さんに聞きましたので
「おかしい」と思われた方は、神職の方に直接質問してみてください
北枕の神道における根拠は検定試験には出ませんので、このへんで
仏式では一周忌、三回忌以降7、13と続き五十回忌で終了します
神式では一年祭、三年祭以降5、10と続き五十年祭で終了します
一般的には五十年祭を節目として「まつりあげ」を行い
それ以降はご先祖様としてお祀りすることになります
ところで、お墓や戒名って神道ではどのようなものか?
お墓は下の絵のように先っぽがとんがっているのが神式の一般的な形
墓石の正面には「〇〇家奥津(都)城」(おくつき)と記されている
場合もあるが、津(都)とは~のを表し「奥の城」と考えて可とアリ
城は棺または棺を置くところという意味もあるそうです
では戒名は?
戒名は仏式の名称です。神道では霊号と称します
素戔嗚命と同様に命(みこと)が付きますが
戒名のように院殿、院などとプレミア号はないそうです
・・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
壮年男性の場合には大人命(うしのみこと)と諡名がつき
壮年女子の場合には刀自命(とじのみこと)と諡名がつき
ますが朗若男女とも単純に命と号する場合もある
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考
神社検定公式テキスト① P.140~P.145
家やビルなどの新築時に行われる祭りがあります
橋やトンネルの工事を始めるときにもテレビニュースなどで
関係者が後ろに控え神主さんがお祓いをする映像を見ることがあります
これらは工事を始めるにあたり、その土地の神様に挨拶し
土地を祓い清め、工事の安全と成功を祈願するお祭りです
地鎮祭 通常じちんさいと云っていますが
もともとは「とこしずめのまつり」と読むそうです
また「地祭」とも呼ぶことがあるそうです
私が家を新築するときにも、神主さんを手配してもらい
家族と工事業者とでおごそかにお祭りしました
そのとき知人から伊勢にある「猿田彦神社のお砂をまくと良い」と聞き
前の週に買い求めに猿田彦神社まで行きました
家が名古屋なので伊勢まで行かなくても
猿田彦大神を祀る「椿大社」が途中の鈴鹿市にあるので
そこにしようかと思っていたのですが
知人が伊勢の猿田彦神社を強調するものですから
その言葉に従いました
拝殿の近くに、猿田彦大神のご神徳である「みちひらき」を表している
「方位石」という八角計の石柱があり、古殿地と彫られています
【 昭和11年まで猿田彦大神様が鎮まられていた場所 】
なるほど、方位にも物事の成功の有無をきめる要因があり
難のときにそれを解消するまたは最小限に抑えるということかと
納得しました
家の工事は進みいよいよ柱が立ち、棟木をあげる段階に来ました
またまた、家族と大工さん、工事業者がいたかどうかは失念しましたが
神主さんにお祓いをしていただきました
一般的に「上棟祭」(じょうとうさい)と呼んでいますが
「むねあげのまつり」というのが本当だそうです
建物の神様や、匠の神様にその後の工事の安全を祈願しました
その後、大工さんたちに飲食を振る舞うのですが
飲酒運転は厳禁ですから、お寿司とお茶の差し入れでした
【 式年遷宮における内宮上棟式 】
いよいよ家が完成し、引渡しを受けることになりました
引越しの段取りや、新しい家具の搬入など忙しい時期です
それでも神事は行いました
新築の建物を祓い清め無事に完成したことの感謝と
そこに住む家族の幸せをあらためて祈願するお祭りで「竣工祭」です
【 海上自衛隊護衛艦ふゆづき竣工式
艦船の場合は進水式と云う 】
「竣工祭」を終えて考えたことがあります
我々は晴れて新しい家に住む慶びを感じているけれど
神棚に設置する札を祀る屋代や仏壇は古いままだけれどいいかな?って
神職の方に聞いてみました
神様には物欲はなく、そこに住む人々が毎日慶びに満ちった生活をすること
そして人としての天命を全うすることが神様の願いであるから気にかける必要はなく
日頃、榊を新しくしたり水を取り替えたりすることのほうが大事だと
家を建てる各段階でお祭りがある
当然、人生の節目でお祭りがある
つくづく神道っていうのは通過儀礼だなって思いましたね。
参考
神社検定公式テキスト① P.147~P.149
巫女さんってなんか可愛いらしいですな
唐突で恐縮ですが、今回は神主や巫女について説明しませう
神事や神社の運営管理に従事しているのが一般的に神主と云われる神職です
神職にも一般社会と同様「職階」というものがあります
職階の最高位が「宮司」次に「権宮司」(ごんぐうじ)
「禰宜」(ねぎ)、「権禰宜」(ごんねぎ)という順序です
そして、神職見習いのような「出仕」(しゅっし)という職階もあります
伊勢神宮や靖国神社では「権禰宜」の下に「宮掌」(くじょう)
「主典」(しゅてん)という職階があります
また職階の他、神道の徳目に従って5つの階位があります
上から「浄階」「明階」「正階」「権正階」「直階」の順になります
これら神職になるためには國學院大學か皇學館大學の神職養成課程を
卒業し必要な実修を受けるか、神社本庁の試験に合格するかです
ちなみに神社検定に合格すると、有名な神社で宮司さんの話を聞けたり
する講座があります
2年前ですが、國學院大學の神職養成課程での模擬講義を内容とする講座を受講しました
実際に神社の本殿を再現した施設があり、実際には見ることができない
神社の内側(あくまでも建築物としてですが)を見ることができました
また烏帽子をかぶり、狩衣を羽織って笏を持つという神職の服装を着ることができました
なかなか面白い講座でしたので、人気が高く応募開始5分くらいで定員になったそうです
その前の年には石清水八幡宮参拝と両加茂社の参拝
及び宮司さんの講話を聞く講座にも参加しましたが有意義な内容でした
是非検定に合格して、そういう講座を受けてみてください
神社への理解が深まることまちがいありません。
ところで、冒頭「巫女さんは何か可愛らしい」と申しましたが
巫女さんは所謂神職ではありませぬ
古代においては、神様の言葉を聞きご神意を伝えるという重要な存在だったそうです
巫女さんになりたいという方は一度近くの神社に相談されるとわかりますが
誰でも可ではないようです。
既に巫女さんをしている人、氏子または当該神社とご縁のある人の紹介が必要だそうです
最近、神社仏閣を意思を持って汚したりする不心得者がいますので当然でせうな
参考
神社検定公式テキスト① P.123 124
お参りには一生の折々の節目で神社に参拝するという習慣があります
一つは「初宮詣で」です
日本に生まれたことに感謝し、無事の成長を願って祝詞を奏上してもらうのです
誕生後、初めて神社に参拝することで「お宮参り」とも云います
神様へのご挨拶ですので、おおむね生後100日までにお参りすると良いでせう
また生まれる前の行事で「着帯の祝」という安産祈願もあります
岩田帯と云われる帯を締め懐妊5か月目の戌の日を選んで行います
生まれた後は、七五三ですな。
男児の場合は3歳と5歳、女児の場合は3歳と7歳のとき
11月15日に近くの氏神さまにお参りします
私の薄らとした記憶ですが、千歳あめを買ってもらったのですが
あまりなじめず、折角と買ってくれた母親に
冷たく「いらない!」って言ったような言わないような
・・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
七五三
3歳・・男女ともそれまで剃っていた頭髪を伸ばし始める「髪置」という儀式
5歳・・男児が初めて袴を着る「袴着」という儀式
7歳・・女児がこの年齢に大人と同じ帯に代える「帯解」という儀式
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【「着袴の儀」を終えあそばされた悠仁親王殿下と秋篠宮文仁親王殿下
同妃紀子殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下】
・・・記 事・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちょとオカルト的ですが、悠仁親王のご誕生について
全国で奇跡ともいえる吉兆現象がいくつか出現しました
秋篠宮悠仁親王殿下の御誕生にまつわる様々な吉兆
吉兆1)黄金のナマズが出現
【出現した黄金色のビワコオオナマズ
実に11年ぶりに捕獲されたとのこと 】
吉兆2)お母様の名を冠したプリンセスキコとい蘭が突然花開いた
名古屋市中区の「ランの館」で
秋篠宮さまが手植えされたラン「プリンセス・キコ」が
紀子さまの懐妊が明らかになった直後に偶然開花しました
吉兆3)パステルカラーに彩られた雲「彩雲」が出現
彩雲は別に「慶雲」「瑞雲」とも云われ
おめでたいことが起きる前兆とされていた
この日、父君の秋篠宮は熊本へ出張中であった
その他、誕生日には本土を直撃する台風12号が進路を変え
本土に来なかったとか、北海道では2重輪の虹が出現したとか
【 悠仁親王殿下のご誕生日(9月6日)の花はキンレンカ
花言葉は愛国心です 和気清麻呂が弓削の道教の
皇位簒奪の陰謀を打ち砕いた日です
また、2006年9月6日には太陽、地球、天王星(天皇星)が一直線に並ぶ
「衝」と呼ばれる極めてまれな日です 】
かなり脱線しました。申し訳ありません
このような人生儀礼に神社は深く関わっています
人生儀礼と云えば、結婚もそうかもしれませぬ
しかし、神前とはいえ現代はキリスト教の神であったりしますな。
ずいぶん前ですが、従弟の結婚式がキリスト教式の神前結婚式でした
両家の家族もそろって讃美歌の一節を歌いました
「かけまくもあやに畏きイザナキ、イザナミ・・・」とう祝詞は
幼い子には面白いらしく吹き出して笑っていることがママありますが
讃美歌は普通に歌なので子供たちも無作法なことがなく
普通に終えることができました
讃美歌も詩の内容はさすがに宗教歌だけあって
イイこと云っていました(もう失念しましたが)
話が脱線しました。
この神前結婚式は大正天皇が皇太子の時に行われたことを契機として
一般の人たちにも普及していったそうです
この神前結婚式で特徴的なのは「三献の儀」(さんこんのぎ)です
所謂「三三九度」というやつですな
このあたりの話は、確か第1回の3級の試験で出たような気がします
参考
神社検定公式テキスト① P.118~119 P.121~122
どこぞの健康飲料のテレビのCMで
「男性は8の倍数、女性は7の倍数に身体の変調をきたす」
というものがありますが、私はあれは迷信のたぐいだと思っています
そんな私ですが、何故か厄年には神社で厄払いしていますので
別の視点から云えば、先のCMを迷信だと笑うことはできないでせう
・・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
男性の厄年は25歳、42歳、61歳
女性の厄年は19歳 33歳 37歳で前後の年を前厄、後厄という
また、男性42歳と女性33歳は大厄または本厄という
厄年の年齢は「数え年」なので、実際の年齢ではありません
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
厄払いとは、メモの年齢に該当する人が神社に参拝して
厄除けのお祓いを受け、難のがれをしようとするものです
元々は厄年とは神事に関わる「役年」の意味であり
還暦と同様に、晴れの年であるという重要な人生儀礼です
厄払いと似たようなものに「大祓い」があります
知らず知らずに犯した罪
と云っても、刑法上の罪だけではなく妬みや憎しみの感情のことですが。
そうした罪、穢れを消滅させ、人の本来の清らかな心に戻す儀式です
6月30日に行われる大祓いを「夏越の祓い」(なごしのはらい)
12月31日に行われる大祓いを「年越の祓い」(としごしのはらい)
と云います(別の言い方もありますがテキストで要確認です)
【 人形(ひとがた)
ここに氏名と生年月日を書いて送ります 】
私は毎年鹿島神宮で「夏越の祓い」をしてもらっています
といっても、実際に鹿島神宮まで行くわけではありません
人形(ひとがた)という人間の形に切った紙に生年月日と氏名を書いて
幣帛として金3,000円(金額は任意です)とを送付するだけです
これなら、面倒くさがりの私でも欠かさずに行うことができます
【 所謂茅の輪くぐりです
祈願者の人形を持って神職が代わりに行います 】
「年越の祓い」は伊勢神宮に参拝することで良しとしています
初詣に伊勢神宮はべらぼうに混雑しますから
私は毎年師走の後半に伊勢神宮参拝をしています
参考
神社検定公式テキスト① P.116 117 及びP.120
中祭、小祭及び祭りの基本的順序はみなさん読んでおいてください。
神輿(みこし)について触れておきます
神輿は神道の祭りのときに、神霊が御旅所などへ渡御するに当たり
一時的に鎮まる処であるというものです
神輿には、単に街を練り歩き御旅所とよばれる目的地を回るもの
荒々しく、揺らしたり神輿同士をぶつけ合うものなどさまざまです
鳳凰の飾りをつけた神輿を「鳳輦」(ほうれん)と云います
元々は天皇の正式の乗り物だったのですが
平安時代の頃に神様の乗り物とされたということです
神様は例祭の時などに、神輿に乗って氏子のいる地域を回ります
これは、氏子の生活を直接ご覧になり幸いを与えられることで
先ほどにも出てきた渡御の意味でもあります。
神輿は身を清めた若者たちに担がれます
学生時代に湯島天神の例大祭を見に行きました
神輿が回る地域では、前日から家の前はもとより道路など
きちんと掃き清めるなどしています
町内の人たちが如何に祭りをまじめに、そして何代も何代も
継承していることが感じられました
【 梅は天神さまのご祭神菅原道真が好んだ花 】
また神輿の担ぎ手には若い女性もいました
白い装束をまとった女性の担ぎ手は、何とも神々しい美しさがあります
あまり上下に並足を揺らさず、足踏みしている様はイイですな
薄化粧もあいまって、魅力的でした。
30年ほど前の話ですが、今も代替わりしながら続いているのでせうな。
男だって負けてはいない。
1トンはあろうかという品川の神輿をみたときの印象ですが
おっかない、すごいという観じでした
神輿には4方向に担ぎ用の棒が出ていて
担ぎ手もお互い引っ張り合ってどこに進もうとしているのか?
【 神輿の下にある角材
4方向に進めることができるがどこに進むのか? 】
とにかく神輿はまっすぐに進むことはなく
担ぎ手の「こっちだ」「あっちだ」の声の大きいほうに進むのか
担ぎ手も、見学者もわからない、とにかくおっかない神輿渡御でした
また、担ぎ手の矜持は盛り上がった右肩のコブにあらわされている
柔道の高段者の耳がキャベツのようにつぶれているように
コブが盛り上がって固くなっているのだ
とにかくすごい神輿だ。
6月第1日曜だったか品川神社の祭礼は必見だと思います
【 見終わったら、京浜急行で立会川まで行きませう 】
・・・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は京浜急行ってとても魅力的な私鉄なんです
品川、横浜間を16分で結ぶ快速特急の営業速度は120kmと実に瞬足
youchubeでもJRと並走して、抜き去るシーンを見ることができます
また、先頭車両はすべてモーター付き車両としています
これは、重いモータ付電車を先頭車にすれば障害物にぶつかっても
小規模な脱線にとどまり、大災害を予防できるのです
などなど魅力的な話がいっぱいです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【旧土佐藩邸があった所 確か急行停車駅です 】
近くに吉田という老舗の蕎麦屋があります
そこで、軽くお酒を呑んでだし巻、蕎麦を食べて帰りませう。
また話が脱線しましたが、悪しからず。
ここからはテキスト①の第4章に入ります
7年に一度行われる諏訪大社の御柱祭は
巨木の上に多くの人が乗っかって急な坂道を降りるという
勇壮な祭りとして知られています。
祇園祭もマスコミ報道などで有名ですし
今年は神田祭が400年ということで神田駿河台を賑やかしています。
【 平成27年版 神田祭ポスター
今年はご遷座400年奉祝で特に盛り上がるでせう 】
【 神田の街を練り歩く神輿 とにかくすごい人です 】
他にもたくさんお祭りがありますが
多くは神社の祭礼によるものではないでせうか。
神社の祭りはそのにぎやかな面もありますが
本来は心身を清め神様に感謝の心を捧げることだと云われています。
「まつり」の語源は神様に従い奉仕する「まつらふ」に由来するらしいです
どんな祭りの種類があるか整理しておきませう
まず、祭りは大祭、中祭、小祭の三つに分類されます
そして、大祭のうち特に覚えるべきは3つの恒例の大祭です
1) 例祭または例大祭
神社とってもっとも重要な祭祀で
神社やご祭神にとって特別に由緒のある恒例祭典です
【 例大祭でご正宮に向かう神職たちの行列 】
2) 祈年祭(きねんさい)
2月17日に行われる稲作の豊穣を祈る祭祀で
「春祭り」とも「としごいのまつり」とも云われています
【 内宮にて 2月17日に祈年祭催行のお知らせ 】
3) 新嘗祭(にいなめさい)
祈年祭が豊作を祈る祭りであるのに対して
秋の収穫祭ともいうべき祭りです。
全国の神社で毎年11月23日に行われます。
世間では勤労感謝の日と称していますな。
戦後神道はGHQから忌避され
祝日の名称でさえそのままでは認められなかったのでせうかね?
戦後70年ですから本来の言葉に戻して
日本が稲作をどれほど重視していたかを学ぶいい機会にしたいと思いますな
「新嘗」(にいなめ)とは、その年に収穫された穀物(稲)を
神様にお供えをして収穫のできたことを感謝する日なのです
【 神宮の新嘗祭に供される稲穂はここで田植えし、刈り取る 】
【 神宮神田で刈り取られた稲穂 】
昔、祖父が「新米は新嘗祭が終わらなければ食べちゃいけない」と云っていました。
今、新米と聞けば誰より早く食べようとする私の姿を見たら、じいちゃん怒るだろうなぁ!
ついでに臨時の大祭にも触れておきませう
先ほど触れた7年に一度の御柱祭、12年ごとに行われる鹿島・香取両神宮の神幸祭
など定められた年ごとに行われる祭祀を「式年祭」
【 昨年行われた神幸祭のポスター 】
平成25年に行われた伊勢神宮の「式年遷宮」や出雲大社の「本殿遷座祭」のように
社殿の造り替え際してご祭神を遷す祭りを「遷座祭」と云い
伊勢神宮のように20年に一度という定例的なものを式年遷座祭といい
臨時におこなれるものをただの「遷座祭」というのだそうです
神社が新たに創建されたときには神様に鎮まりいただく「鎮座祭」
新たにご祭神を増やす場合には「合祀祭」
逆にご祭神を分ける場合に行われるのが「分祀祭」です
参考
神社検定公式テキスト① P.102~105
金毘羅神社と富士浅間神社のお話です。
どういう分けか、ともに学生時代のことを思い出しちゃいました。
1)金毘羅神社
セオウル号事件は実に悲惨な事故、人災でした。
海上交通の安全は現在でも重要なことです
いわんや古代においておやですよ。
【 金毘羅宮 】
金毘羅さんは四国香川県にあります。
古代の瀬戸内の海上交通の安全を司る神様です
現在は、瀬戸内にとどまらず世界の海が対象でせう
【 海上自衛隊 輸送艦4002しもきた
艦内神社に金毘羅宮が祀られているそうな 】
ご祭神は大物主神と崇徳天皇
大物主神は大国主命の和魂という存在です
ちょっと分かり難いかもしれませぬな。
伊勢神宮「内宮のご正殿に祀られている天照大御神には
感謝をお祈り申し上げるのみ、
願い事はその荒魂が祀られている荒祭宮にせよ!」
て聞いたことありませぬか?
時には天変地異を引き起こし、病を流行らせるけれども
逆に人の願いを叶えるパワーを発揮する荒魂
それに対して雨や日の光など、神の優しく平和的な側面
が和魂の表れである。まぁ神道独自の考え方かも
しれませんな。
金毘羅さんは中学の修学旅行で行きましたが
バスガイドさんに「御本宮までの石段785段上がれますか?」と言われ
皆で挑戦し無事たどり着けた記憶があります。
また、帰りのバスで「一段違う階段があったの知ってる?」と聞かれ
「表参道から本宮まで石段を上る中、手水舎の手前で唯一1段下がります」
「そして、それが分かった人には良いことがありますよ」って
【 今なら絶対挑戦しない785段 】
ブログを書いていてどんどん思い出しましたが
そのバスガイドさんは伊予鉄道バスのガイドさんでぽっちゃりした
可愛いらしい人でした。(そのときの写真探しましたよ)
今どうしているかなぁ!
試験には出ませんが、つい思い出話になってしまいました。
2)富士浅間神社
今度は大学生の頃の思い出から・・・・
東京6大学野球の試合(対戦相手はどこでも同じ)で
応援合戦が行われますが、校歌斉唱前に応援団長の口上は
「西の方目向ければ霊峰富士の峰々を仰ぎ・・・」で始まります
この口上が明治大学応援団固有のものか否かは分かりません。
(ちなみに小生は明治大学卒業です)
【 明大応援団チアリーダー部の美女たち
可愛い後輩たちこれからも頑張ってください 】
それはともかく霊峰富士に対する信仰は万葉集にも歌われるほど。
その代表的な神社が富士山本宮浅間大社(静岡県)
俗に浅間さんと云われ、7つの富士登山口に鎮座していたとのこと
山梨県から入る口には北口本宮浅間大社があります
表裏を云わないところが良いですな。
【 富士山本宮浅間神社 】
ご祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメのミコト)が主祭神
で夫の瓊瓊杵尊、父神の大山祇神(オオヤマズノカミ)と
醜いお姿のため瓊瓊杵尊にふられてしまった姉神の磐長姫命も
祀られています。
木花とは桜だそうですが、美しくも儚い存在ですよ
父神の大山祇神が瓊瓊杵尊に木花開耶姫命と磐長姫命とを
送ったのには、磐長姫命が持つ永遠の命を授けようとしたのですが
送り返してしまったので、如何に天孫の神様と云えども寿命を
受け入れることになってしまわれたと云われています。
【 Google画像で探しましたがどなたかが
木花開耶姫命をイメージした絵です 小生の
イメージではもう少し優しげな目元ですかね 】
しかし、500本もの桜が奉納された境内は美しい桜の名所であり
拝殿右手のしだれ桜は、武田信玄公お手植えの桜の二代目とのこと
英雄色を好むではありませんが、八百万の神様の中で一番の美形の神
ですから信玄ならずともお近づきになりたいと考えますよ。
残念ながら小生ここも未だ参拝していないのです
そのせいか新幹線を頻繁に利用しますが、いつも雲に隠れているような
気がしてなりませぬ。小生に見られるのが恥ずかしいのなら嬉しいです
(そんなわけないだろうと天の声!)
2社とも大きなヤマとはいえないかもしれませんが一応試験範囲
なので目を通しておきませう。
参考
神社検定公式テキスト① P.82 83(金毘羅さん)
P.98 99(浅間さん)
金毘羅神社
http://www.konpira.or.jp/
富士山本宮浅間大社
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/
水を司る貴船神社のご祭神 タカオカミノ神(漢字が難しいので・・)
酒を司る松尾大社のご祭神 大山咋神
1)貴船神社
私は水を扱う会社に居ますので、貴船神社はまじめに参拝しました。
「貴船山や鞍馬山のエネルギーが貴船川に流れ込み
ものすごいパワースポットになっている」とのこと
何やらオカルト的な逸話の多い神社です。
【 貴船神社 】
丑の刻(午前1時~3時頃)に憎い相手に見立てた藁人形を
ご神木に五寸釘で打ちつける呪いの儀式「丑の刻参り」(うしのこくまいり)
儀式は奥宮周辺で行われ、今も木に釘の跡が残っています。
本来、「丑の刻参り」とはご祭神のタカオカミノ神が
貴船に降臨されたのが丑年丑月丑日丑刻だと云うことで
人々の心願成就を叶えるという古事が本当で
そそっかしいどこぞの女人が呪いに利用したのでは。
神様も迷惑しているでせうな。
平安時代には丹生川上神社と並び祈雨、止雨の霊験有と
朝廷から崇敬を受けた由緒ある神社なのです。
先ほど、どこぞの女人がと申しましたが
縁結びのご利益もあるそうです
平安時代の歌人和泉式部が夫の浮気に悩んで参拝したところ
夫婦仲が元に戻ったと(テキストに書いてあります)
【 縁結びの磐長姫命が祀られています結社 】
異性との出会いが欲しい方は、どうぞ拝んでくだされ 】
中宮には磐長姫命が祀られています
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)にふられ、嫁入りできなかった磐長姫命が
世の人の良縁を授けようと縁結びの神になったらしいです。
(瓊瓊杵尊は天照大神の孫にあたる神で、天孫降臨を果たし
地上でコノハナサクヤ媛命の美貌に一目惚れし、親に結婚を申込んだ処
姉妹の磐長姫命をも寄越したのですが、醜女であったので
送り返したという古事記の話)
2)松尾大社
水に関する仕事に従事していますが、お酒も大好きなので
松尾大社にも触れておきませう。
実は、貴船神社のご祭神タカオカミノ神と
松尾大社のご祭神大山咋神は兄弟のようです。
【 京都でも最古の神社と云われる松尾大社 】
日本書紀によれば「伊邪那美が火の神カグツチを生んだ際
火傷で死んでしまった。怒りにまかせて伊邪那岐がカグツチを
斬って殺したところ、3柱の神が生まれた」その内の2柱の神
がタカオカミノ神と大山咋神です
松尾大社にはもう一柱中津島姫命も祀られています
この神様は宗像三女神のひとり市杵島姫の別名だそうです。
5世紀頃に渡来人秦氏がこの地を開拓し、総氏神として祀ったので
文武天皇が大宝元年(701年)に社殿を造営されましたという由緒です
宗像三女神のひとり市杵島姫が祀られている点から
渡来人説は説得力がありますな
松尾大社は、平安遷都以降は平安京を守る皇城鎮護の社として崇敬され
「賀茂の厳神、松尾の猛神」と称され、賀茂社と双璧をなしていました
室町時代以降に「日本一酒造神」になりました
酒好きの小生未だ参拝せざるを残念には思いますが
日本酒の消費量UPに日々貢献しておりますので、ご容赦ご容赦。
本殿裏にある神聖な松尾山
昔は禁足地でしたが、現在は許可を得て登ることができるとのこと
近いうちにお参りしたいと思います。
参考
神社検定公式テキスト① P.94~97
松尾大社
http://www.matsunoo.or.jp/
加茂社について
加茂社は2社あります。
一つは上賀茂神社。正式には加茂別雷神社
【 上賀茂神社 】
もう一つは下鴨神社。正式には加茂御祖神社
【 下鴨神社の御手洗社 】
・・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下鴨神社では上の御手洗社で行われる「足つけ神事」
で無病息災を祈るつー祭りがあります。
この御手洗はみたらしと云い、私の好物のみたらし団子は
これが起源だということです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山城国風土記には下鴨神社のご祭神の玉依姫命が
加茂川から流れてきた丹塗りの矢を持ち帰り懐妊し
生まれたのが加茂別雷大神という話が記載されているとのこと
両社とも、平安遷都後に王城鎮護の神社として崇敬された
伊勢神宮の斎宮にならい、嵯峨天皇の御代から400年に渡り
斎王という未婚の皇女が斎院として祭事に従事してきたそうです
京都三大祭の一つ「葵祭」で知られる「加茂祭」が有名ですが、
下鴨神社の境内の森は『源氏物語』にも登場する「糺(ただす)の森」
もまた、都市部にありながら古代山城原野の植生を残す
世界でも希少な森としても有名です。
【 下鴨神社を空から見た写真です
約12万4千平方メートル 広大な森です】
この「糺(ただす)の森」の南隣にマンション建築計画が持ち上がり
侃侃諤諤の議論百出のようです。
そもそも神社というはお守りやおみくじなどの販売や賽銭
祈祷料、結婚式などが収入の柱で、普段の経費は賄えても
20年に1度の式年遷宮といった大事業は寄付金に頼らざるを得ないのです。
京都市も景観に配慮したものであればと理解を示しています。
私もやむを得ないことだと思いますが、
下鴨神社はそれだけの資産価値のある土地を所有していますので
こういう方法も可能ですが、地方の神社はどうすれば良いか?
神道は宗教というカテゴリーにあり憲法で国の関与を認めていません
今後、遷宮などという金銭のかかる事業をなしえない神社が
出てきても指をくわえているしかできないのは疑問ですな。
神社建築物は宗教的概念としてではなく
宮大工という伝統的建築技術・技能という点から
国庫の補助を認めてほしいものです。
参考
神社検定公式テキスト① P92. 93
上賀茂神社
http://www.kamigamojinja.jp/
下鴨神社
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
ほんとうにデカかった出雲大社
神社に関して出雲大社への理解は重要です。
平成25年に60年に一度という出雲大社の「本殿遷座祭」があり
翌26年には宮司の千家家と高円宮の典子さまとの
ご結婚で話題にもなりました。
記紀神話でも大きなヤマの一つですから
きちんと整理しておきませう。
・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出雲大社の参道を歩くと、伊勢神宮とは別の
雰囲気があります。
伊勢がご神域という澄み渡るような雰囲気なら
出雲はそこに人々のコミュニティがあったかの
ような温もりを感じました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出雲大社は「いずもおおやしろ」という呼びかたが正しい。
出雲大社のご祭神である「大国主命」は
自分が造ってこられた国を天照大神に譲ります。
その神徳を称えて、天照大神が神々に造営を命じたのが
「天日隅宮」(あめのひすみのみや)
それが出雲大社本殿ではないかと。
【イメージですが高さは48m、96mという説もあり 】
その規模が壮大であることは古事記にも記されています。
平安時代に書かれた「口遊」(くちずさみ)という書に
「雲太、和二、京三」とあり、当時でもわが国最大の
建築物でありました。
雲太は出雲大社、和二は東大寺大仏殿、京三は太極殿
現在の平安神宮です。
天照大神や大国主命の話は神話だ!
フィクションだ!と笑うなかれ。
平成12年に、境内から遺跡が発掘されました
48メートルの高さと伝えられる神殿の柱が出現したのです。
それも出雲国造家に伝わる神殿の造営図に描かれている
巨木が三本束ねの形で出現したのですからね
・・メモ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
太い所で直径約1.7mの杉材を3本金輪で束ねたもので
残存部は当時の地表面から2mほどの下にあり
まわりに直径20~30cmの石を詰めていました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平安時代に既に、出雲大社は東大寺大仏殿より大きい
と言われていましたが、それを裏付ける遺構が
発見されたつーことです
また天照大神は巨大な神殿をプレゼントするだけでなく
御子の「天穂日命」(あめのほひのみこと)に
末永くお祀りするようお命じになりました。
その「天穂日命」の子孫が代々出雲国造家として
84代に渡り宮司をされているのです。
典子さまと結婚された国麿さんは85代目です。
千家家当主になるときには、出雲国造家として
「出雲国造神賀詞」(かむよごと)を天皇陛下に
奏上されます。これは国家的な大イベントです。
また陰暦10月は全国の神様が出雲に集合するため
神無月と言われますが、出雲地方では逆に神有月となっています。
どうでもよござんすが・・・
出雲路を走る一幡電鉄デハニ52形電車
昭和3年の北松江線開通および1930年(昭和5年)の
大社線開通に備え製造された一畑電車オリジナル車両です
中井貴一さん主演の映画
『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』
に登場しました。(小生、残念ながら未だ見てないのです)
参考
神社検定公式テキスト① P90.91
熱田神宮については、少しお話があります。
今日のポイント
・熱田神宮がなぜ神宮の社格を与えられているのか?
・古事記と日本書紀におけるヤマトタケルの漢字の表記
・三種の神器の一つは何か?
まずは、グルメ情報から・・・・
名古屋名物「鰻のひつまぶし」
【一杯目はそのまま、二杯目は薬味と、三杯目は
茶漬けでと、3回楽しめるひつまぶし 】
近年全国的に有名になった「名古屋飯」
そのひとつに鰻のひつまぶしがあります。
グルメ番組で取り上げられる蓬莱軒の本店が
熱田神宮の南にあります。
今や、熱田神宮より有名かもしれませんな。
その熱田神宮のご祭神は「熱田の大神」ですが
それは、草薙の剣を御霊代(みたましろ)とする
天照大御神のこと
【 昔は尾張造り社殿でしたが、明治26年伊勢神宮
と同じく神明造りに建て替えられた 】
【 三種の神器の一つ 草薙の剣だそうです 】
そして草薙の剣とは、素戔嗚命が八岐大蛇を
退治した時に尻尾から出た剣で、皇統を示す
三種の神器の一つです
そのときは、マメノムラクモの剣と云いました
12代景行天皇の皇子「倭健命」
(日本書紀では「日本武尊」と記述されています)
が東征したときにの物語がよく知られています。
倭健命が浦賀水道で乗船が難破しそうになったときに
弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)が
「さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて
問いし君はも」の歌とともに入水して
海神の怒りを鎮め、命の偉業を助けたという
悲しい生贄の話があります
【 入水する弟橘比売命 】
小生が感じ入ったのは
その物語を語る美智子皇后陛下のお姿です。
皇后さまは仰いました「「いけにえ」という酷い運命を
進んで自らに受け入れながら・・・最も愛と感謝に満たされた
瞬間の思い出を歌っていることに、感銘という以上に
とても強い衝撃を受けました」と。
お二人が戦後初めての沖縄訪問で「ひめゆりの塔」に献花した際
壕に隠れていた左翼過激派が飛び出し
火炎瓶を投げつけるという事件が起きた。
当時警察庁幹部として現場にいた佐々淳行氏は
火炎瓶が投げられた瞬間に
妃殿下が片手を殿下の前に伸ばして守ろうとされた瞬間を
目撃したと語っています。
また、山形県での国体開会式で
両陛下に向けて発煙筒が投げつけられる事件が起きた
この時も異変を察知した皇后陛下は咄嗟に右手を差し出し
陛下を庇おうとした。
わずか数秒の出来事だったが
そのお姿は全国にニュース画として報じられました
【 太平洋の激戦地ペリリュウ島にて慰霊される両陛下 】
まさに、皇后陛下こそ現代の弟橘姫命ではありませんかね。
後段の記述は事実ですが、試験には出ません。
しかし、熱田神宮で倭建命と話が出たら、どうしても触れたかったのです。
お付き合いいただき感謝します。
参考
神社検定公式テキスト① P88.89
熱田神宮
http://www.atsutajingu.or.jp/kaikan/service/
今日は鹿島、香取の両神宮です。
今日のポイント
・鹿島神宮のご祭神は古事記でどのように描かれているか
・香取神宮のご祭神の記述があるのは古事記か?日本書紀か?
鹿島神宮のご祭神の建御雷命はものすごく強い神様です。
出雲の国譲りの時に諏訪大社のご祭神の建御名方神と
力比べをして、圧勝してしまいます。
そのあたりは、実際に古事記を読んでみてください。
【 こんな感じで国譲りを迫った建御雷命
古事記では十束の剣を逆さまに突き立てて
その剣の先っぽに胡坐を組んでとあります 】
古事記では当然、国譲りの大功労神ですが
日本書紀では鹿島の武甕槌大神(タケミカヅチ)
と香取神宮の経津主命(フツヌシ)の2柱の大神が
してのけたこととされています
その功労のためでせうか、鹿島・香取両宮は
伊勢神宮以外で初めて神宮の神号を受けています。
【 東日本震災で倒壊した石造りの鳥居に変り
木製で造りなおされた大鳥居 】
式年大祭(しきねんたいさい)
12年に一度の午年に行われる祭典
鹿島の大神と香取の大神が水上で出会う
鹿島神宮最大の祭り、水上の御船祭りとしては
日本最大の規模を誇る祭りです。
また、ころ両宮には「要石」があり
地震の抑えてくれるという信仰があります
残念ながら、2011年東北で・・・と言ったら
「要石」のお蔭であの程度で済んだと言われました(笑)
【 地震を鎮めるといわれる要石 】
実は鹿島神宮は武道の神様で、我が家の崇敬神社です。
私も武道をたしなみますが、どうして弱いのだろうか?
信仰が足らないからでせうかね。
【 鹿島神宮駅前に立つ剣聖塚原卜伝
ここが武道の聖地であることがわかります 】
【 ちょっとイイ話 】
鹿島神宮のご祭神は国譲りのとき、
諏訪のご祭神であるタケミナカタ命を
出雲から諏訪に追い詰めたということになっています。
東日本地震で宮城県の諏訪神社のご神体が流され
翌年か翌翌年だったか鹿島の浜に流れ着き
鹿島神宮の氏子がこれは何かの因縁ではと
大事に取扱い、元の諏訪神社に戻したという
記事が、鹿島神宮崇敬会員に配られる機関紙「要石」
に紹介されていました。
【 どうでもいいでせうが・・・】
今は見られません!スカ色113系近郊型電車
鹿島神宮、香取神宮、鶴岡八幡宮を結ぶ総武・横須賀線
を走っていました。
今はこちらの電車E217系(Eは東日本のイースト)
どうも失礼しました。
参考
神検定公式テキスト① P76.77
3級の試験には公式テキスト①の他にも
公式テキスト⑧があります。
神社の項目は最低限の情報だけを記して、少し急ぎませう。
1)春日大社
神奈備山として有名な春日山(御笠山みかさやま)の麓に鎮座
ご祭神は武甕槌命様・経津主命、天児屋根命様・比売神で
全部で春日四所明神とも春日大明神とも言っています
【 平成27年は社殿の第60次式年造替を迎える
世界遺産の春日大社・・・これは試験に必須か?】
藤原氏の守護神として朝廷から特別待遇を得ていたことから
春日祭は天皇の勅使が参向する「三勅」のひとつです。
あと二つは?
上賀茂、下鴨神社の加茂祭、石清水八幡宮の石清水祭です。
【 春日大社の神の使いは鹿 可愛い置物です!】
2)愛宕、秋葉神社
愛宕神社のご祭神は迦遇槌命 (かぐつちのみこと)を
若宮に祀っています。
【 上から見る愛宕神社の階段!パーミルはどんなもんだろう?】
その本地仏が勝軍地蔵とされたことから武家の信仰を集めた
「愛宕の三つ参り」と言って3歳までにお参りすれば
火事難を避けられるとして、7月31日から8月1日参りすれば
千日功徳があるそうです。
秋葉神社の総本社は秋葉山本宮秋葉神社で
ご祭神は火之迦具土大神
愛宕神社のご祭神と表記は異なりますが、同じ火の神です
【 浜松にある秋葉山本宮秋葉神社 】
江戸時代に神輿を担いで東海道を下ったことから
全国的な信仰になったとされています
12月15日から「秋葉の火祭り」が行われることにも留意
秋葉神社は秋葉原の地名の由来だそうです。
AKBの皆さんは秋葉山本宮神社に参拝されるのでせうか?
キャンディーズのスーちゃん 故田中好子に
似ているような気がする渡辺麻友さんを応援しています
大分私情をはさみました。あしからず。
参向
神社検定公式テキスト① P.78 79 P.80 81
春日大社
http://www.kasugataisha.or.jp/
秋葉神社
http://www.akihasanhongu.jp/
今日学ぶ神社も二つ。
大阪の住吉大社と福岡の宗像大社
1)住吉大社
ご祭神は住吉三神と神功皇后です。
住吉三神の名前は底筒男命(そこつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)と
表筒男命(うわつつのおのみこと)です。
皆、イザナギが黄泉の国から帰ってきて
海で禊をしたときに生まれた神様です。
【 住吉大社の招き猫 カワユイですな 】
もうひと柱の祭神神功皇后が新羅征伐に赴いたとき
託宣を下して、これを助けたのも住吉三神です。
住吉は古くは「墨江」と読み
遣唐使はこの墨江の津(津とは港のこと)から
出航したのですが、住吉大社参拝後に乗船したとのこと
2)宗像大社
宗像大社は天照大神の三柱の御子神をご祭神とする宗像神社の総本社
三女神のお名前は 田心姫神(たごりひめのかみ)
湍津姫神(たぎつひめのかみ)市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)
田心姫神は 沖津宮(おきつぐう)、湍津姫神は 中津宮(なかつぐう)、
市杵島姫神は 辺津宮 (へつぐう)にお祀りしています。
この三宮を総称して「宗像大社」と言います。
【 沖津宮の沖ノ島は海の正倉院と言われています】
宗像大社は「道主貴(みちぬしのむち)」とも言います
「貴(むち)」とは最も高貴な神に贈られる尊称で
「日本書紀」には宗像三女神が「道主貴(みちぬしのむち)」
すなわちあらゆる道をお導きになる
最も尊い神として崇敬を受けていました。
ちなみに、平清盛が熱く崇敬した広島の厳島神社
安芸の宮島で有名ですが、この厳島神社のご祭神もまた
宗像三神なのです。
参考
神社検定公式テキスト① P.84 85 P.86 87
諏訪大社は2011年の大災害を予言していた!
いきなり妙な話で恐縮です。
諏訪大社の春宮において筒粥神事という儀式が
毎年1月14~15日に行われます。
そこで神様からの三行半を意味する「三分五厘」がでたそうです。
何とも不思議な話しですな。
その諏訪大社は諏訪神社の総本社で
ご祭神は建御名方神と、姫神の八坂刀売神を祀っています
【 信濃之国一之宮 諏訪大社 】
諏訪大社は諏訪湖を挟んで、上社と下社があり
上社は本宮と前宮、下社は春宮と夏宮から成り立っています
804年桓武店の時代に始まったという有名な「御柱祭」は
7年毎寅年と申年に行われ、上下両社から巨木を
8本切り出し、それぞれの社にに4本づつ柱を立てる祭です
【 有名な諏訪大社御柱祭 】
また、厳寒期に諏訪湖の氷の表面に生じる裂け目は
お諏訪さんの「御神渡り」(おみわたり)として有名です
白山は富士山、立山と並ぶ三大霊山の一つです。
白山とは単独の山の名前ではありません
御前峰(ごぜんみね)大汝峰(おおなんじみね)別山などの総称です
【 全国の白山神社の総本社 白山比咩神社 】
古くから水の神、漁業の神、祖霊の集まる山として
多くの人々の信仰を受けていました。
創建は崇神天皇のころ。約2100年前です。
全国に多数ある白山神社の総本社が白山比羊神社です
ご祭神は白山比羊大神(しらやまひめおおかみ)の他
イザナギ、イザナミの2柱の神様をお祀りしています
白山比羊大神は日本書紀に登場する菊理姫とされています
なお、白山山頂には奥宮が鎮まっています。
【 北陸鉄道石川線 鶴来駅に向かう7100系 】
参考
神社検定公式テキスト① P68.69 P72.73
諏訪大社
suwataisha.or.jp/
白山神社
ww.niigatahakusanjinja.or.jp/