神社検定の試験に合格するためには、公式テキストの2冊以上の読破が必要です。 実際に読み始めると、興味の持てる箇所もあれば退屈なテーマもあります。 そこで、各テーマの概要をブログの記事にして読み続けることで、退屈なテーマ学習の一助になるように考えて、また自分のおさらいをも含めてサラッと記事にしてみた。
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検定試験まで、3週間をきりました
本記事を以て、公式テキスト①「神社のいろは」を終了します
後は過去問のおさらいをしておきませう
では皆さんの健闘を祈ります
記事はここから
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古代には国家が認めた神社を官社と称し神祇官が幣帛を献じていました。
平安時代になり、「延喜式神名帳」に記載された神社を式内社と云い
官幣大社-国幣大社-官幣小社-国幣小社と分類。
特に霊験あるものを名神大社としました。
「式内社」と言えば、古代から続く由緒正しい神社ということです。
貴族の好きそうなことだなぁと思うのは
「正一位」や「従一位」といった貴族の位階を神様にもつけたことです
これを神位、位階と云うそうですが
とんでもない罰当たりなことではないでせうか?
平安時代中期には朝廷の崇敬を受ける神社は平安京に集中してきます
これを「二十二社」と云い
上七社として石清水八幡宮、加茂二社等七社
【 上七社のひとつ 石清水八幡宮 】
中七社として石上神宮等七社
【 中七社のひとつ 石上神宮
祀られている七支刀が有名 】
下八社として八坂神社、貴船神社等8社が成立します
【 貴船神社は下八社のひとつ 】
さすがに伊勢神宮は上七社の筆頭ですが
古事記神話で大きな位置を示す神々を祀った神社
例えば、出雲大社、鹿島神宮、熱田神宮などが入っていません
地方の神社を守ったのは貴族たちではなく そこに住まう人々の
篤い信仰心であったのですな
それが、地方に「一宮」であり「総社」という神社が生まれた所以なのかも
【 尾張の国一之宮 真清田神社
全国でも一宮と名がつく珍しい愛知県一宮市に鎮座 】
明治時代になると、皇室より幣帛がお供えされる官弊社と
国庫からお供えされる国弊社に分類されました。
そして、それぞれ大社、中社、小社に分けられました。
その他、国家のために殉じた人々をお祀りする靖国神社が創建され
別格官幣社という社格が与えられました。
敗戦によりGHQの神道指令によりそれらの社格は廃止され
昭和21年に神社本庁が発足し現在に至っています。
宇佐八幡宮は旧官弊大社で式内社に名神大社とされており、
鶴岡八幡宮は旧国弊中社で式内社以後の創建です。
つまり上位の八幡宮は宇佐になりますが
現在は社格としての上下という区分はありません。
なお、伊勢神宮は全くの別格ですから、
今も昔も、唯一無二の存在であることは知っておきましょう。
参考
神社検定公式テキスト① P.176~P.179
前回に続いて、皇室の祭りをちっくと勉強しませう
皇室祭祀を行う場所は宮中三殿、神嘉殿そして山陵です。
皇居内にある宮中三殿は賢所、皇霊殿、神殿の総称です。
【 宮中三殿 】
賢所には皇祖である天照大神と御鏡の分身が祀られ、
皇霊殿には神武天皇始め歴代皇室の御霊が祀られています。
神殿には「天神地祇八百万神」が祀られています。
なお、神剣の分身と勾玉は剣璽(けんじ)と云い
今上陛下の御所の「剣璽の間」に保管されています。
【 剣璽の間 】
【 三種の神器 】
大きい丸い形状の「鏡」、「まが玉」そして「草薙の剣」
皇室祭祀を執行されるのは天皇陛下ご自身です。
お祭りには恒例祭祀、臨時祭祀があり
さらに大祭と小祭に分かれます。
大祭は天皇親祭と云い、天皇様自らがお祀りされます。
小祭は天皇陛下が拝礼され、掌典長に祀らされるとのことです。
恒例祭祀の中でもっとも重要なのが
11月23日に神嘉殿で行われる新嘗祭です。
また全国の神社のうち、皇室と関係の深い神社には、
勅使が参向し幣帛が供えられます。
これらの神社を「勅祭社」といい全国に16社あります。
特に宇佐神宮と香椎宮には10年ごと、
鹿島神宮と香取神宮には6年ごと、
靖国神社には春秋2度の大祭に勅使が派遣されています。
実際に天皇陛下はどのようにお祈りをされているのでしょうか。
毎年1月元旦に行われる歳旦祭について見てみましょう。
『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によると、
天皇陛下は元旦の午前5時半には宮中三殿に並ぶ
神嘉殿(しんかでん)の前庭にお出ましになります。
庭中央の、屋根だけの東屋風の簡素な建物には
清潔な青畳が敷かれています。
天皇陛下はそこで皇室の祖先神が祭られている
伊勢神宮に遥拝し、国の安泰と国民の幸福
そして、農作物の豊作などを祈り、四方拝を行われる。
【 四方拝の様子を描いた 】
元旦の厳しい寒さの中での祈りは
70歳を過ぎた陛下には厳しいと思いますが、
陛下は決して式次第を省略したりしないそうです。
歳旦祭に臨む前に、陛下はすでに御所で身を浄め、
身装いを正しておられることでしょう。
つまり午前3時くらいには起床されておられると思います。
天皇様は、こうした古代の祭祀を非常に大切になさるそうです。
年間30回を超える古式の祭祀を、ご公務の間に手抜きせずにされる。
既に両親がなく、子供もない私なんぞに対しても
天皇様が祈ってくださるようでありがたいと思います。
『天皇陛下の全仕事』(講談社現代新書)によると
歳旦祭に先立ち御所から神嘉殿に向かわれる
陛下をお見送りしたとき皇后様が詠まれた
「年ごとに 月の在(あ)りどを 確かむる
歳旦祭に 君を送りて」との歌を紹介しています。
天皇・皇后という存在は、古代から短歌で人々を癒し、
国民に皇室の想いを伝えてきたのかもしれません。
サイパン慰霊の際に
「あまたなる 命の失せし崖の下
海深くして 青く澄みたり」と天皇様が詠めば、
「いまはとて 島果ての崖踏みけりし
をみなの足裏(あうら)思へばかなし」と皇后様が続きます。
平成24年の歌会でも、東北に想いを馳せて
「津波来し、時の岸辺は 如何なりしと
見下ろす海は 青く静まる」と天皇様が詠めば、
「帰り来るを 立ちて待てるに 時のなく
岸とう文字を 歳時記に見ず」と皇后様が続きます。
両陛下の短歌には悲しみを浄化する力があり
両陛下の発する言葉には人を癒す優しさがあります
東北地震の被災者へのお見舞いのときの
被災者の表情の変化を見ているとそう感じます。
参考
神社検定公式テキスト① P.166~P.171